貝塚

2006年9月3日 お便り
これは、私の父が終戦直後に本当に遭遇した呪いの話です。
私の父は終戦直後電気関係の学校を出た関係で山の中に鉄塔(電線をつなぐ鉄でできた四本足の大きなやつ)を建設する現場監督をしていました。
(確か場所は盛岡だったとおもいます。)終戦直後は人出もいなく特に父のように専門知識を有する人間が少なかったため、またかなり危険な作業である為当時まだ若かった父が得る収入はかなりのものだったそうです。
父は29人の作業員の頭として働いていたのですが、スケジュ−ル的にかなりの強行軍であったにもかかわらず大きな事故も無く作業は当初順調に進行し鉄塔は次々にできていきました。ところがその何本目かの鉄塔を作る際、4本足の内の1本が設計上どうしても貝塚の上にあたってしまう事が分かったそうです。

皆さんご存知の通り貝塚とは大昔の人の墓です。
父は村の人たちや作業員に貝塚の上に鉄塔を作ることを猛烈に反対され、又、父自身もさすがにまずいと思い工事の親元に建設計画の変更をお願いしたそうです。しかし「元々押せ押せで行ってきた工事計画を今更変更したら完成が大幅に遅れ、さらに膨大な費用がかかってしまう。そんな迷信気にせずに早く作業に取り掛かれ」と取り合ってくれなかったそうです。仕方無しに父達は貝塚の上に鉄塔を建てはじめたそうです。しかし着工するとすぐに今まで事故を起さずに工事を行ってきた父たちに次々と不幸が襲う様になっていったそうです。

ある者は作業中考えられないようなところから誰かに押されるように転落したり、ある者は落ちるはずの無い鉄柱が落ちて来て直撃したり、又ある者は原因不明の病で倒れたり。なんと29人の作業員のうち半数以上の18人が死亡したというのです。
さすがに事の重大さに驚いた親会社から父は呼び出され「もう頼むから辞めてくれ。このままだとあんたも危ない」と言われ、当時にしては法外な額の退職金をもらい退職したそうです。
父はその後犠牲者1人1人の遺族を訪れ謝罪したそうです。
父の退職後その鉄塔建設計画が変更されたのかどうか父には分からないそうですが、父は「あの事件は終戦直後の混沌とした時代に起こったことだからか、それとも会社が事実をもみ消したからか分からないが世間では大騒ぎにならなかったが、現代にあんなことが起きたら大騒ぎになるだろうな。犠牲になった人たちとその遺族には本当に申し訳ないと思っている。俺が強引にでも工事計画を止めてればよかった。おまえも気を付けろよ。」と悲しそうに話してくれたのでした。

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