嵐の夜の出来事
2006年8月11日最近多い天災による事故で思い出した話。
そこは山の中にある小さな村。
バスで一時間ほどかかる所に隣町があった。
今でこそ小さな街にもスーパーができ、ある程度のものは一つの店で
揃えられるようになったが、その村にはスーパーが無く、必要なものは
隣町まで買い出しに行くのが主流だった。
そんな村でただ一つ、何でも屋として下着から、乾電池、ちょっとした
電化製品などある程度のモノを扱う店があった。経営者はその村に
昔から住んでいる老夫婦。特にこれと言った変化も無く、村はいつもの
ように静かに時を刻んでいた。
ある日、その老夫婦の元に孫の直幸が遊びに来た。
直幸はたばこが見つかり高校を停学していた。彼はたばこ以外にも
色々やってきたが、両親は”直幸が悪い”と一方的で、彼の事を本当
に理解しようとはしなかった。そんな直幸の苦悩を理解して励ました
のが、この老夫婦だった。直幸は自分の祖母と祖父を愛し慕っていた。
そして、この村のゆっくりとした時間と優しい人間関係に安らぎを感じ、
いつのころからか、この村にちょくちょく遊びに来るようになっていた。
村は過疎化で若い人間がいなく、村人も直幸を自分の孫のように扱い
彼が来るのを楽しみにしていた。直幸がこの村にやってくると、この店は、
一日中にぎわった。
夏休みも近づき直幸は祖父母の店でバイトをする事にした。
祖父母と村人は大いに喜んだ。村人が必要なものをバイクで宅配する
のが主な仕事だった。仕事は順調で、直幸は村人の家と顔が一致する
ほど村の地理に詳しくなった。
その日は朝から雨だった。天気予報では台風が近づいているとの事。
そんな日でも注文があれば直幸は村人の為に喜んでバイクを走らせた。
夜が近づくと嵐が迫り、風が音を立てて強く吹き、雨も強くなった。
天気予報は注意報ではなく警報に変わっていた。
「こんな夜は家でじっとしてるに限るね」などと話している時、突然
部屋が暗くなった。停電だ。雑貨店なだけあって、家にはロウソクや
懐中電灯など何でも揃っている。懐中電灯で明りを補充していた時、
電話が鳴った。幸い電話は生きているらしかった。電話は懐中電灯の
中身、乾電池が欲しいという。そして、こんな嵐だから、配達してもらう
のは忍びない。自分で取りに行く。と言うものだった。
この嵐の中、常人でも出歩くのは危険だ。老人ともなると尚更だ。
20:50。直幸は乾電池を手に取ると、引き止める祖父母を後に店を
出た。一時間ほどして老夫婦が心配している所に一本の電話が入った。
「乾電池ありがとう。わざわざ届けてくれたんだね。直幸君寒そうに
ずいぶん青い顔をしていたよ。この嵐だから、直幸君には休んでいく
ように言ったのだけれど、祖父母が待っている。ときかなくてねぇ。
直幸君にはくれぐれもありがとうと伝えておくれ。」
それから、二時間が過ぎ、三時間が経過したが直幸は帰ってこない。
もう真夜中だ。老夫婦は心配し、警察に電話した。しかしその日、直幸
は帰ってこなかった。
次の日、大きな木に追突しているバイクと直幸の死体が発見された。
いつも商品を入れるバイクのフタ付きのケースの中に乾電池はなかった。
もちろんフタを開けて中身を確認するまでフタは開いていなかった。
死亡推定時刻が21:00。店を出てから、10分後。
乾電池を注文した家は店から最低でも30分以上必要だ。ましてや嵐の
暗闇ともなると倍の時間がかかってもおかしくない。という事は、乾電池
はいつ届けられたのか?乾電池を注文した夫婦は”確かに直幸君を見
たよ。玄関のほうで音がするから覗いてみたら。直幸君がびしょ濡れで
立っていた。顔は蒼白で気分が悪そうだったから「休んでいくかなんなら
泊まっていきなさい」と言ったのだが、ほほえんで、「祖父母が待ってい
ますから」と確かに言った。そして、バイクに乗って帰っていった”と証言
した。
死亡推定時刻が誤りなのか、夫婦の見た直幸の姿が幻だったのか・・・・
一つ確かな事は、直幸は乾電池をその家に届けたと言う事だ。
そこは山の中にある小さな村。
バスで一時間ほどかかる所に隣町があった。
今でこそ小さな街にもスーパーができ、ある程度のものは一つの店で
揃えられるようになったが、その村にはスーパーが無く、必要なものは
隣町まで買い出しに行くのが主流だった。
そんな村でただ一つ、何でも屋として下着から、乾電池、ちょっとした
電化製品などある程度のモノを扱う店があった。経営者はその村に
昔から住んでいる老夫婦。特にこれと言った変化も無く、村はいつもの
ように静かに時を刻んでいた。
ある日、その老夫婦の元に孫の直幸が遊びに来た。
直幸はたばこが見つかり高校を停学していた。彼はたばこ以外にも
色々やってきたが、両親は”直幸が悪い”と一方的で、彼の事を本当
に理解しようとはしなかった。そんな直幸の苦悩を理解して励ました
のが、この老夫婦だった。直幸は自分の祖母と祖父を愛し慕っていた。
そして、この村のゆっくりとした時間と優しい人間関係に安らぎを感じ、
いつのころからか、この村にちょくちょく遊びに来るようになっていた。
村は過疎化で若い人間がいなく、村人も直幸を自分の孫のように扱い
彼が来るのを楽しみにしていた。直幸がこの村にやってくると、この店は、
一日中にぎわった。
夏休みも近づき直幸は祖父母の店でバイトをする事にした。
祖父母と村人は大いに喜んだ。村人が必要なものをバイクで宅配する
のが主な仕事だった。仕事は順調で、直幸は村人の家と顔が一致する
ほど村の地理に詳しくなった。
その日は朝から雨だった。天気予報では台風が近づいているとの事。
そんな日でも注文があれば直幸は村人の為に喜んでバイクを走らせた。
夜が近づくと嵐が迫り、風が音を立てて強く吹き、雨も強くなった。
天気予報は注意報ではなく警報に変わっていた。
「こんな夜は家でじっとしてるに限るね」などと話している時、突然
部屋が暗くなった。停電だ。雑貨店なだけあって、家にはロウソクや
懐中電灯など何でも揃っている。懐中電灯で明りを補充していた時、
電話が鳴った。幸い電話は生きているらしかった。電話は懐中電灯の
中身、乾電池が欲しいという。そして、こんな嵐だから、配達してもらう
のは忍びない。自分で取りに行く。と言うものだった。
この嵐の中、常人でも出歩くのは危険だ。老人ともなると尚更だ。
20:50。直幸は乾電池を手に取ると、引き止める祖父母を後に店を
出た。一時間ほどして老夫婦が心配している所に一本の電話が入った。
「乾電池ありがとう。わざわざ届けてくれたんだね。直幸君寒そうに
ずいぶん青い顔をしていたよ。この嵐だから、直幸君には休んでいく
ように言ったのだけれど、祖父母が待っている。ときかなくてねぇ。
直幸君にはくれぐれもありがとうと伝えておくれ。」
それから、二時間が過ぎ、三時間が経過したが直幸は帰ってこない。
もう真夜中だ。老夫婦は心配し、警察に電話した。しかしその日、直幸
は帰ってこなかった。
次の日、大きな木に追突しているバイクと直幸の死体が発見された。
いつも商品を入れるバイクのフタ付きのケースの中に乾電池はなかった。
もちろんフタを開けて中身を確認するまでフタは開いていなかった。
死亡推定時刻が21:00。店を出てから、10分後。
乾電池を注文した家は店から最低でも30分以上必要だ。ましてや嵐の
暗闇ともなると倍の時間がかかってもおかしくない。という事は、乾電池
はいつ届けられたのか?乾電池を注文した夫婦は”確かに直幸君を見
たよ。玄関のほうで音がするから覗いてみたら。直幸君がびしょ濡れで
立っていた。顔は蒼白で気分が悪そうだったから「休んでいくかなんなら
泊まっていきなさい」と言ったのだが、ほほえんで、「祖父母が待ってい
ますから」と確かに言った。そして、バイクに乗って帰っていった”と証言
した。
死亡推定時刻が誤りなのか、夫婦の見た直幸の姿が幻だったのか・・・・
一つ確かな事は、直幸は乾電池をその家に届けたと言う事だ。
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